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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

思い出の画像


中秋節(中秋の名月)

9月18日は、旧暦の8月15日で中秋節(中秋の名月)である。
昨夜の月が目の前に大きく綺麗に輝いていたので、
5分ほど立ち止まり、子供の頃に祖母がススキと、
白玉粉の団子を前に語ってくれた時の事を思い浮かべた。

昨日は、上海にて6個入り月餅(yue4bingゲッペイ)
500袋余りを購入し、午後に従業員さん達皆さんへ手渡した。


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日本では、この習わしは少なくなったが、中国では
根強く残っています。皆は、中秋節が近づいて来る頃には、
月餅の話題になるのだが、実際に甘い月餅(yue4bingゲッペイ)
を手にすると、うれしそうな表情も、一瞬で消え失せ、
「これって甘くって、あまり美味しくない!」なんて声が耳に入ると、
何となく、来年の中秋節は現金を配ろうと幹部で相談するのだが、
相変わらず、恒例の如く月餅(yue4bingゲッペイ)を買ってくるのである。

中国で調査した所、ゲッペイをもらって、うれしくないと思う人が、
もらった人の70%以上と言うから、
来年からはやはり現金にしようかな・・・?



目標は「身体の健康」


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「中国語の勉強」の「新年好」より抜粋

私は12月22日から29日の1週間ずっと風邪で熱を出していました。
しかも、30日から熱はますますひどくなっていった。
終には風邪がよくならないために、
ゆえ12月31日から1月1日まで入院した。

去年からインターネットのブログ作成に度が過ぎ、
身体を酷使しすぎた。その結果、身体が耐えられなくなり
病院で点滴を打った。
今年の私の目標は「身体の健康」皆さん、
どうぞよろしくお願い致します。

上記の内容の如く、今年は更に希望を持ち健康に留意したい。
そして希望と健康を書くため筆を取った。
今回中国人の管理者にお世話になりましたと
縦150cm横60cmの宣紙(安徽省宣城で産する紙)に希望と大きく書き、
表装したものをプレゼントした。

この画像の額はベット両脇のスタンド台に置いてある。


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中国では元宵節


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今日は中国では元宵節です。
旧暦1月15日に当たる今日は家族団らんで、
団子を食べながらこの日を祝い皆の健康を感謝します。

今タイプしていても外では花火の音が賑やかに
鳴り止む様子もみせませんね。
また灯篭を飾って見物する風習があるので、
この日を灯節(灯篭祭)ともいう。

今日あたりの夜は、上海豫園では大賑わいだろう。
古代に夜を宵と言い、正月を元月と言った。
漢の文帝はこの正月十五日を元宵節と名づけた。


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「情人節」

バレンタイデーを中国語で「情人節」といい、
何となく「情人」から受ける印象は「愛人」のようですね。
私が中国で「我的愛人(wo3 de ai4ren)」と言ったら、
私の妻と取って頂けなかった。

何となく恋人というように、
理解されたようです。


「情人」の「情」とは、物事に感じて起る心の動きであり、

主観的な意識や気持ちや心。

また思いやりの心や情け。
そして異性を慕う気持ちや趣や味わいなどの意。


「愛人」の「愛」とは、親兄弟の慈しみ合う心であり、
男女間の相手を慕う情であり、それは恋ともいう。

また愛とは大切にすることや自分を、
犠牲にして相手を慈しむの意。


日本では、バレンタインデーというと
「恋人」を思い浮かべます。


「恋人」とは、恋しく思う相手。おもいびとといい、
「恋人」の「恋」とは、一緒に生活できない人に強く引かれ、

恋しく思うことで、
男女間の思慕の情から恋慕、恋愛。


ある特定の異性に対して平常心でいられない心の揺れが恋で、
その心の揺れをもたらすのが「情」という事でしょうかね。


しかし、実際のバレンタイン・デーの意味は、
西暦269年に殉教死したローマの司祭を、
聖バレンタインと呼び、

2月14日が聖バレンタインの記念日となった。



この2月14日に愛する人に贈り物をすること。
特に女性から男性に贈り物をし、
日本では1958年頃より流行し始めたが一部分。


年に一度女性からが男性にチョコレートをプレゼントして、
愛を告白するという、このしゃれた風習は、

欧米からわたって来たのではあるが、日本人の創作であり、
仕掛け人は当然の如くいるのだが、


その仕掛け人までが驚くほど
日本の文化になってしまった。


私の携帯電話にも、中国語で「情人節快楽」と、
既に12通のメールが届いている。



「遠き島より流れ寄る」


名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

とはじまる歌を思い出した。
伊良子岬へは若い頃よくサーフィンに行った。
豊川インターには何度降り立った事か。

ネット友人の、さなちゃんより、
伊良子岬にちょっと待った~!

「伊良湖岬」が本当の名前ですよ!とカキコあり!

あれほど通った伊良湖を間違えるとは、
日本語をよく間違えるようになった・・・(涙)



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この時の気温が34度あった。
私でも汗ばむ暑さであった。
中国の人は、タンクトップ姿もあったが、
私は、半袖の白の肌着に長袖のシャツを羽織っていた。

この下の画像の椰子は氷で冷やしてあり、
そのまま飲むと、何とも生き返るようであった。


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「上海でも雪化粧」

今年日本では50何年ぶりの、
大雪の報道を、こちら上海にて、
連日衛星放送でBS1で見ていた。

昨年は上海でも雪が降った。
昨年と言っても今年の冬ではなく、
2004年から2005年にかけての冬だ。

この冬は上海でも結構寒かった。
しかし、雪が降ることはなかった。


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今朝起きて、カーテンを開けたら、
雪が降り積もっていた。

子供頃は、朝雪が降り積もっていると、
取る物も取りあえず、
外に飛び出したものだ。

しかし、今ではその感動も薄れ、
工場管理職を乗せた車は問題なく
工場へ到着するだろうかなどと、
そのような心配をし、身支度をした。

今日は、出かける予定があったので、
心配した車がまだ工場に着いてないので、
どうしたのかと、電話した。


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私の胸騒ぎが的中し、事故に巻き込まれて、
交通警察が来るのを待っているという。

どうやら、後から追突されたようだ。
上海で雪が降るのも少ない。
朝の慌てているなかで、いつもの車間距離。

いつものタイミングでブレーキを踏んでも、
間に合わなかったのだろう。
人には何の影響も無いとの事で、
工場の事は心配しないで処理して下さい。
と伝え外に出てより、

工場付近の雪化粧を画像に納めた。
工場裏の竹林・工場入口脇の庭等、
画像に収めてより、工場に入った。

下の画像は、工場の私の事務所から、
上海の古い家屋の雪化粧を撮った。
この古い家屋は、2ヶ月以内に解体され、
新しく高層マンションが出来上がる。


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「青い色の睡蓮の花」


2日前に画像を更新した蓮の花の画像。

「ある女性」より
「多分睡蓮だとおもいます」とのご連絡あり。

「睡蓮」で検索したところ、
同じような花が続々と出てきました。
そして、モネの睡蓮の絵画の事が、
書かれてありました。

また、モネが晩年を過ごしたのは、
戦争の舞台となったノルマンディー地方。

「青い色の睡蓮の花」は、
モネが何としてでも咲かせたいと、
願ったが叶わなかった。

その睡蓮の花・・・。


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この蓮の花には瑞々しさがない。
それだけに、毎日咲き、咲き疲れた姿・・。
何となく哀愁を感じる。

睡蓮の花言葉は「心の純潔、純情、信頼、復活」
蓮の花言葉は「神聖・沈着・休養・遠くへ去った愛」

花言葉って実に勇気付けられる。
それぞれの花に言葉が有る。

誰が付けたのかは知らないが、

赤コスモスの花言葉は「乙女の愛情・調和」
白コスモスの花言葉 は「乙女の純潔・美麗・優美」
濃桃コスモスの花言葉は「愛情」
黄花コスモスの花言葉は「野生美、チョコレートコスモス」

そして、画像は「蝴蝶園」に、
咲いていた一輪の「睡蓮の花」
モネが咲かせたいと願った「青い色の睡蓮の花」


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1キロ四方ある庭園


バンコクから1時間半ほど、
車で走った所に東芭文化村がある。

その文化村の入口を入った所に、
古典舞踊などの踊りを披露する
会場があり、その奥100m付近に、
象のショーを行うグラウンドがあった。

私たちは、その象のショーも終わり、
庭園散策に向かった。

ここを訪れるのは3回目という中国の人は、
この庭園が素晴らしく綺麗だからと、
私に言うが、30分の散策時間で、
一体何処をどう見れば良いのかと思った。


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現地ガイドや上海からの添乗員も、
「分かってますか?30分ですよ!」
私も「分かってます」と言ったものの、

1キロ四方ある庭園をどうやって30分の
時間で画像に収めればよいのかとも思ったが、
取りあえずは、中国人のグループから離れた。

そ~っと離れたつもりだったが、
上海から来た添乗員に見つかってしまった。
「どちらへ行くのですか?」
「あっちの方へ行って来ま~す!」

途中、アメリカ人の団体に会い、
どの辺りが綺麗かを聞いてみた。
どこも綺麗だと言うが、特に綺麗な所を、
聞いてみると、大勢の人達が、
体をそちらの方へ向け指をさした。

取りあえずは、彼等の言う通りの方向へ、
先を急いだ。この時5分を費やしていた。


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ストーンヘンジのような石


バンコクから1時間半ほど、
車で走った所に東芭文化村がある。

その東芭文化村のタイ古典舞踊や、
象のショーを見た後、
庭園散策に、向かった。

陸橋を渡り車道の上に延びた一本の道、
私はその道を前に向け急いだ。

ふと人が追いかけて来る音に振り返ったが、
誰も居なく気味が悪いくらいだった。

また走ると自分のスニーカーの音が、
反響していると分かった。

そして、再度振り返り撮った一枚の画像。


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とにかく前へ前へと先を急いだ。
道の両脇の木々も綺麗に手入れされていた。

更に進むと前方に遺跡を、
模った公園が見えてきた。

ズームで引っ張り撮影した。

イギリスの
ソールズベリ平野のストーンヘンジを、
模ったストーンであった。

ストーンヘンジは、世界遺産に挙げられ、
ミステリースポットとしても、
知られている謎の巨石群である。

左側に保安が立っているという事は、
車で入ってくる人をチェックしているのか?
などと思ったりしながら眺めていた。


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イギリスの文化遺産をどうして、
東芭文化村の庭園に造ったのか?

その奥には古代の塔のような感じの、
建物が模って建てられていた。

その手前のトランプのダイヤのような、
形にくりぬかれた木々。

これを植えようと考えたのも素晴らしいが、
その手入れに、気の遠くなるような年数を、
費やしただろうと思うと、この場から、
暫く一人で立ち止まって見ていた。


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夢の世界のような風景


バンコクから1時間半ほど、
車で走った所に東芭文化村がある。

その東芭文化村のタイ古典舞踊や、
象のショーを見た後に庭園散策へ。

しかし、私は目の前に広がった景色に、
現地ガイドや上海からの添乗員から、

現地ガイドから
「分かってますか?30分ですよ!」

上海からの添乗員から
「30分後の集合場所はここですよ!」

そして、私も「分かってますよ!」と、
言った言葉さえ忘れてしまい我を忘れて、
夢の世界のような風景に暫し足が止まった。


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私の今までの人生で、
このような風景は見たことがなかった。

一体、何年掛かってここまでにしたのか?
一体何人の人々がこの庭園造りに携わったのか?

色んな思いが脳裏をよぎった。
そして、ここに立っているのは、
後にも先にも現時点で私一人だった。

これほどまでに整然と庭園が造られ、
これほどまでに色使いがマッチして、
これほどまでに人の心を引く庭園があるのか?

足の力が抜けたような感覚で、
時計を見ると既に、40分になり、
約束の時間を10分間過ぎてしまっていた。


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構図を考え撮り終えた


バンコクから1時間半ほど、
車で走った所に東芭文化村がある。

その東芭文化村のタイ古典舞踊や、
象のショーを見た後に庭園散策へ。

衝撃的な庭園の光景を目の当たりにして、
ふと時計を見ると約束の30分を過ぎており、
来た道を戻っていった。

戻る途中、逆光に輝いた木々たちを、
画像に収めた。

しかし、光が強すぎる為、
画像の木々が光で飛んでしまい、
何とか光を遮るものを探した。


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早く集合地点に帰らなければ、
その思いと、2度とここへは、
来れないかもしれない思いとが交錯した。

何とか構図を考え撮り終えた。
そして、
私は誰も居ない道を、小走りに急いだ。

走りながらも、この道で有っているのだろうか?
もし帰り道を間違えると時間を費やしてしまう。

来た道を帰るのが一番安全だったが、
時間のロスの事も考えて、
庭園内を対角線上に道を探しながら、
先へ先へと急いだ。


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